宮田用水と木津用水
古くは平安時代から耕作されていたこの地域の水田では、濃尾平野を枝状に流れる小さな川を利用して農業用水が取られていました。江戸時代になり、徳川家康の命により、木曽川の左岸に「御囲堤」がつくられたため、これらの小さな川が締め切られ、木曽川の水が流れ込まなくなったので、1608 年、今の江南市と一宮市のあたりにそれぞれ杁(木曽川から取水するための石組みの水門)がつくられ、同時に水路も掘られ、宮田用水の原形ができあがりました。
木津用水は、宮田用水取入口の上流部の犬山城下から木曽川の水を取り入れるため、1648 年に開削された用水です。明治時代には、舟で名古屋市に物資を運ぶため、木曽川と庄内川を結ぶ水路としても利用されていました。
木曽川の川底が洪水などのたびに変化し、水が取りにくくなったため、宮田用水と木津用水の取入口は、昭和37 年に完成した犬山頭首工に合口(いくつかの取入口を一緒にして水を安定的に取ること)され、途中までは同じ水路を利用し、それぞれの用水の地域へと水が運ばれていくようになりました。
【宮田用水】
【木津用水】